自民党に
高村正彦という男がいる。
この人物が
同党の
副総裁をやっている。
またもって、
自己流解釈論で
自民党の同僚議員を混乱させているらしい
(高野孟・文「集団的自衛権の議論に「砂川判決」を持ち出す三百代現」
〔9日発行、日刊ゲンダイ・コラム「永田町の裏を読む」所収〕参照)。
すなわち、
この男がため
世に名高い
「伊達判決」を葬った
田中耕太郎最高裁長官の下した、
「砂川事件」についての
判決中の文言が
一人歩きしているという。
砂川事件とは、
米軍立川基地への反対闘争で
フェンスを壊して
基地内に立ち入った学生7人が
安保条約に伴う
刑事特別法に問われた
裁判を指す。
上掲、田中が下した判決は、
「在日米軍は、日本の軍隊ではないから駐留は合憲」
としたものだ。
判決が下されたのは、
1959年、
僕が
小学2年生をエンジョイしていた頃のできごとだ。
(おっさん、その話、古すぎやろ)と
突っ込みを入れたいほど古い事件にもかかわらず、
判決の
理論的出発点である
「固有の自衛権」
という言葉に特殊な意味を持たせている。
すなわち、自衛権として
個別的なものが認められているのなら、
集団的なものも含まれている(はずだ)というわけだ。
いうなれば、
これは、連想ゲームだな。
この君に尋ねたい。
次のような場合、
どう対応するのだろうか、と。
話はこうだ。
一緒に考えて頂きたい。
「あんたの嫁さん、
夫婦なんだから当然、犬も食わないという
夫婦喧嘩をする自由がある。
個別的に認められるのだから
友人も含め、
みんなであんたの嫁さんと
集団的に喧嘩をする自由がある」として、
誰かが
土足に自宅に踏み込んできたとき、
「個別権があるなら、
集団権もある(はず)」という論理では
拒否する権利が
認められないはずだ。
だろ?
違うかな。
ついでに言わしてもらうと、
最高裁のこの判決は、
「平和を愛好する諸国民の公正と信義」
を信頼して
という文言を持ち出してきて、
わが国の防衛力不足を補うものとして
米軍駐留を合理化している。
しかし、高村をして、
「平和を愛好する諸国民の公正と信義」などは、
絵空事だろう。
そんなもの信頼できないからこそ、
再軍備を!!
というのが本心と思う。
そこに核兵器への
こだわりの根拠があるはずなんだ。
同人にとって、
チャンチャラ可笑しいはずの
「平和を愛好する諸国民の公正と信義」には
一切触れず、
何気ない顔をして
「固有の自衛権」を認めながら
個別的なもののみが
肯定されているのでなく、
集団的なものも
含めなければ一貫しないという論説は、
相手の混乱に乗じて、
大切なものを奪ってやろう
というドロボーの発想だ。
本気で
論ずる気があるなら、
まずは、
どういう場合をもって
集団的とされるのか、
その点から明らかにすべきだ。
〔資料〕
「55年前の砂川判決 首相『集団的自衛権含む』」
東京新聞(2014年4月9日 朝刊)
☆ 記事URL:http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014040902000132.html
安倍晋三首相は八日の民放BS番組で、歴代政権が憲法九条の下で行使を禁じてきた集団的自衛権をめぐり、最高裁による一九五九年の砂川判決の解釈について「個別(的自衛権)も集団も入っている。両方にかかっているのが当然だ」と述べ、判決が認めた「(国の)存立を全うするために必要な自衛のための措置」には集団的自衛権も含まれるとの認識を示した。砂川判決を行使容認の根拠に、自民党内を意見集約したい高村正彦副総裁に歩調を合わせた発言で、自らが言及することで議論を加速させる狙いがあるとみられる。
砂川判決は自衛権の区別をしていないが首相は番組で「集団的自衛権を否定していないことは、はっきりしている」と指摘。「必要最小限の中に含まれる集団的自衛権もあるのではないかと(の議論が自らの私的諮問機関の)有識者懇談会でも主流的になりつつある。政府としては必要最小限の行使と考えている」と述べた。
しかし、砂川判決は、集団的自衛権は行使できないという政府の憲法解釈が確定するより、はるか前に出されている。その判決を根拠に集団的自衛権は認められるとの論法には無理があるとの見方が野党や与党・公明党内には根強い。安倍政権が解釈改憲に前のめりになっていることを裏付ける発言だ。公明党の山口那津男代表は「判決は個別的自衛権を認めたものだ。集団的自衛権を視野に入れて出されたと思っていない」と主張。これに対し首相は番組で「裁判長の頭の中に(集団的自衛権の)概念があったのかは分からないところがあるということを(山口氏は)言いたかったと想像する」と述べた。
<砂川事件> 1957年、東京都砂川町(現立川市)の米軍立川基地拡張に反対するデモ隊の一部が基地内に立ち入り、7人が日米安全保障条約に基づく刑事特別法違反の罪で起訴された事件。東京地裁は「米軍駐留は憲法9条違反で罰則は不条理」と無罪を言い渡した。検察側の跳躍上告を受け、最高裁は59年に一審判決を破棄し「わが国が、存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることは国家固有の権能の行使として当然」との解釈を示した。
高村正彦という男がいる。
この人物が
同党の
副総裁をやっている。
またもって、
自己流解釈論で
自民党の同僚議員を混乱させているらしい
(高野孟・文「集団的自衛権の議論に「砂川判決」を持ち出す三百代現」
〔9日発行、日刊ゲンダイ・コラム「永田町の裏を読む」所収〕参照)。
すなわち、
この男がため
世に名高い
「伊達判決」を葬った
田中耕太郎最高裁長官の下した、
「砂川事件」についての
判決中の文言が
一人歩きしているという。
砂川事件とは、
米軍立川基地への反対闘争で
フェンスを壊して
基地内に立ち入った学生7人が
安保条約に伴う
刑事特別法に問われた
裁判を指す。
上掲、田中が下した判決は、
「在日米軍は、日本の軍隊ではないから駐留は合憲」
としたものだ。
判決が下されたのは、
1959年、
僕が
小学2年生をエンジョイしていた頃のできごとだ。
(おっさん、その話、古すぎやろ)と
突っ込みを入れたいほど古い事件にもかかわらず、
判決の
理論的出発点である
「固有の自衛権」
という言葉に特殊な意味を持たせている。
すなわち、自衛権として
個別的なものが認められているのなら、
集団的なものも含まれている(はずだ)というわけだ。
いうなれば、
これは、連想ゲームだな。
この君に尋ねたい。
次のような場合、
どう対応するのだろうか、と。
話はこうだ。
一緒に考えて頂きたい。
「あんたの嫁さん、
夫婦なんだから当然、犬も食わないという
夫婦喧嘩をする自由がある。
個別的に認められるのだから
友人も含め、
みんなであんたの嫁さんと
集団的に喧嘩をする自由がある」として、
誰かが
土足に自宅に踏み込んできたとき、
「個別権があるなら、
集団権もある(はず)」という論理では
拒否する権利が
認められないはずだ。
だろ?
違うかな。
ついでに言わしてもらうと、
最高裁のこの判決は、
「平和を愛好する諸国民の公正と信義」
を信頼して
という文言を持ち出してきて、
わが国の防衛力不足を補うものとして
米軍駐留を合理化している。
しかし、高村をして、
「平和を愛好する諸国民の公正と信義」などは、
絵空事だろう。
そんなもの信頼できないからこそ、
再軍備を!!
というのが本心と思う。
そこに核兵器への
こだわりの根拠があるはずなんだ。
同人にとって、
チャンチャラ可笑しいはずの
「平和を愛好する諸国民の公正と信義」には
一切触れず、
何気ない顔をして
「固有の自衛権」を認めながら
個別的なもののみが
肯定されているのでなく、
集団的なものも
含めなければ一貫しないという論説は、
相手の混乱に乗じて、
大切なものを奪ってやろう
というドロボーの発想だ。
本気で
論ずる気があるなら、
まずは、
どういう場合をもって
集団的とされるのか、
その点から明らかにすべきだ。
〔資料〕
「55年前の砂川判決 首相『集団的自衛権含む』」
東京新聞(2014年4月9日 朝刊)
☆ 記事URL:http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014040902000132.html
安倍晋三首相は八日の民放BS番組で、歴代政権が憲法九条の下で行使を禁じてきた集団的自衛権をめぐり、最高裁による一九五九年の砂川判決の解釈について「個別(的自衛権)も集団も入っている。両方にかかっているのが当然だ」と述べ、判決が認めた「(国の)存立を全うするために必要な自衛のための措置」には集団的自衛権も含まれるとの認識を示した。砂川判決を行使容認の根拠に、自民党内を意見集約したい高村正彦副総裁に歩調を合わせた発言で、自らが言及することで議論を加速させる狙いがあるとみられる。
砂川判決は自衛権の区別をしていないが首相は番組で「集団的自衛権を否定していないことは、はっきりしている」と指摘。「必要最小限の中に含まれる集団的自衛権もあるのではないかと(の議論が自らの私的諮問機関の)有識者懇談会でも主流的になりつつある。政府としては必要最小限の行使と考えている」と述べた。
しかし、砂川判決は、集団的自衛権は行使できないという政府の憲法解釈が確定するより、はるか前に出されている。その判決を根拠に集団的自衛権は認められるとの論法には無理があるとの見方が野党や与党・公明党内には根強い。安倍政権が解釈改憲に前のめりになっていることを裏付ける発言だ。公明党の山口那津男代表は「判決は個別的自衛権を認めたものだ。集団的自衛権を視野に入れて出されたと思っていない」と主張。これに対し首相は番組で「裁判長の頭の中に(集団的自衛権の)概念があったのかは分からないところがあるということを(山口氏は)言いたかったと想像する」と述べた。
<砂川事件> 1957年、東京都砂川町(現立川市)の米軍立川基地拡張に反対するデモ隊の一部が基地内に立ち入り、7人が日米安全保障条約に基づく刑事特別法違反の罪で起訴された事件。東京地裁は「米軍駐留は憲法9条違反で罰則は不条理」と無罪を言い渡した。検察側の跳躍上告を受け、最高裁は59年に一審判決を破棄し「わが国が、存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることは国家固有の権能の行使として当然」との解釈を示した。